着物は日本らしさを代表するものといえるでしょう。
日本人にとって、着物は馴染み深いもの。
洋服が主流となっている現代でも、大切な行事や特別な日には着物が選ばれています。
なぜ時を越えて現代でも着物が愛されているのか、歴史を知ってみませんか?
今回は、着物の歴史について縄文時代から令和まで詳しくご紹介します。
歴史から、着物の魅力を再発見してみましょう。
着物への思い入れもより強くなるはずです。
目次
そもそも着物とは
洋装が日本に入ってくるまで、衣服といえば着物でした。
そのため、着物という言葉は着るものの総称として使われていたのです。
ちなみに、海外では着物のことをそのままKimonoと表記します。
古くでは、16世紀ごろのヨーロッパですでにKimonoが知られていたようです。
着物と和服・呉服は違う?
洋装が日本に入ってきたのは明治時代のことでした。
これまでの着物と新しい洋装を区別するために、和服という言葉が誕生したといわれています。
洋服以外の衣服を指す言葉として、和服が使われたのです。
現在も着物を意味する言葉として、和服は多くの人に使われています。
呉服は本来、中国の呉の織物で作られた装いのことを指します。
江戸時代では絹で作られた着物を呉服と呼び、ほかの着物と区別していました。
いつしか境界が曖昧になり、現在では着物や和服と同じ意味として使われています。
縄文時代から令和まで、着物の歴史をわかりやすくご紹介
着物の歴史はとても古く、縄文時代まで遡ることができます。
令和になった現代でも着物は日々進化し、老若男女を問わずに多くの人々に愛され続けています。
着物の歴史を時代ごとにチェックしてみましょう。
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縄文時代
縄文時代は、人々が狩猟を行って生活していた時代です。
外敵となる動物などから身を守り、日々変化する天候に対応することが必要でした。
狩猟によって得た動物の毛皮や羽毛、木の皮を使って、衣服のもとになる布を作ったといわれています。
時代が進んで作物を育てるようになると、カラムシや麻などの繊維も使うようになったようです。
これらの繊維から糸を紡ぎ、織物の始まりになりました。
弥生時代
弥生時代になると、男性・女性で異なる装いをするようになりました。
男性が着た巻布衣は、1枚の布を体に巻きつけただけのものでした。
装飾なども施されていません。
女性が着た貫頭衣は、ワンピースのように頭を通す穴があけられたものでした。
袖はなく、腰に帯状の紐がついていたそうです。
また、身分の高い人は絹を素材にした衣服を身につけていました。
居坐機と呼ばれる織り機が誕生した時代も弥生時代です。
紫草や藍などを植物染料として染色も行われるようになりました。
古墳時代
古墳時代には、大陸との交流が始まりました。
中国の影響を受け、装いがさらに進化した時代です。
男性は筒袖のついた衣を上衣に、足首を紐で縛って留めた衣褌を身につけていました。
女性は男性と同じ衣を上衣に、スカートのような筒状の衣裳を装いとしていたようです。
また、この時代のハニワから、現在とは異なる左前での着用が一般的であったとわかっています。
養蚕も盛んに行われるようになり、絹糸の織物も浸透してきました。
飛鳥時代・奈良時代
飛鳥時代・奈良時代は、遣隋使や遣唐使によって中国の文化の影響をより濃く受けた時代です。
階級の高い人は、大きな袖口でシルエットにゆとりのある漢服を着ていました。
庶民は男性・女性ともにあげくびと呼ばれる詰衿とプリーツの入った褶を身につけていたようです。
さらに男性は冠とガウンのような上着である袍と袴を、女性は丈の長いスカートである裙を装いとしていました。
聖徳太子が冠位十二階を制定すると、位によって冠と衣服の色を使い分けました。
奈良時代には三公服が制定され、位によって礼服と朝服、制服を着たといわれています。
また、元正天皇が衣服令を制定し、着物の前合わせが左前から現在と同じ右前になりました。
平安時代
平安時代になると、遣唐使が廃止されました。
大陸の文化が入ってこなくなったことで、着物が日本独自の文化として発展した時代です。
公家の男性は束帯を装いとしました。
女性は唐衣裳装束や女房装束など晴れの装いをするように。
重ね着をする姿から、十二単と呼ばれました。
重ね着や素材の使い分けなどたくさんの工夫によって着物の種類も広がり、着物が日本人の装いとして生活に根づいたのです。
身分による装いの区別も確立し、身分の高い人は手足が隠れる装いを、身分の低い人は動きやすい装いをしていました。
布地を直線に裁って縫い合わせる直線裁の技術も、平安時代に誕生しました。
鎌倉時代・室町時代
鎌倉時代・室町時代になると、武家が政治の実権を持つようになりました。
着物も戦を意識した実用的なものへと変化した時代です。
武家の男性は直垂と呼ばれる大袖と袴を身につけました。
私生活では小袖を着たようです。
女性は小袖、袴、衣からなる衣袴を着ました。
室町時代中期の有名なできごとに、応仁の乱が挙げられます。
京都を東軍と西軍に分けた応仁の乱は、着物の転機の一つです。
戦が収束すると、職人たちは西軍の本陣だった地域で織物業を行いました。
高織と紋織が誕生し、その地域は西陣と呼ばれるように。
現在も有名な西陣織が誕生したのです。
室町時代が終わりに近づくと、身分や性別を問わずに装飾が施された小袖を着るようになりました。
江戸時代
江戸時代は、徳川家が大名に領地を与えたことによる藩制度の時代です。
藩ごとに模様を決め、麻の生地を固めた上着と袴を身につけました。
藩ごとに決められた模様が着物全体の技術を発達させるきっかけになったのです。
着物そのものの価値も高め、現在のように財産としたり代々受け継いだりする風習が生まれました。
女性の着物は自由であったため、室町時代の終わりと同様に装飾が施された小袖を着ていたようです。
着こなしとしておはしょりを作るようになり、帯締めと帯揚げを合わせたお太鼓結びも誕生しました。
各藩に置かれた呉服所は呉服商に発展し、後の巨大呉服店になったといわれています。
明治時代・大正時代
明治時代の大きなできごとである明治維新により、長く続いた階級制度が廃止されました。
同時に富岡製糸場を代表とする絹産業が発展し、希少とされた絹の着物がこれまでよりも身近なものになりました。
庶民にまで絹の着物が浸透するかと思われましたが、開国によって他国の文化が日本へ入ってくるように。
装いをはじめ、生活様式など幅広く欧米化が進んだのです。
上流階級の人々は着物から離れ、流行とされた洋服を選ぶようになりました。
明治11年には法律によって洋装が正装であると定められましたが、一般市民は引き続き小袖を基本の装いとしたそうです。
大正時代になると小袖を着ていた一般市民も西洋文化に親しむように。
着物も海外のモチーフ柄や派手な色が好まれました。
少しずつ洋装化が進み、男性は背広、女性は社会進出とともに着物から離れていったのです。
昭和・平成・令和〜現在
第二次世界大戦のころは、男性は国防色の上下を、女性は着物にモンペを身に着けました。
終戦後から昭和40年ごろまでは着物が普段着として再び着られるようになりましたが、洋服に移行し、現在と変わりのない装いに。
着物を着る機会は減ってしまいましたが、晴れ着として選ばれ特別感を感じるようになりました。
ジェンダーレス化や個性の尊重が多くの人に浸透しつつある令和は、着物にとっても良い変化の時代になりそうです。
着物に新たな魅力を感じる人が国内外で増え、着こなしも多様化しています。
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まとめ
着物の歴史について時代別にご紹介しました。
洋服が中心となった現代でも、着物はたくさんの人に愛されています。
着物選びや着こなしなど、コーディネートのコツがわかると着物がより一層楽しくなるはずです。
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